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シンとデス子⑪ 入浴中~ シン「デス子、目ぇ瞑ってろよ?(わしゃわしゃとデス子の頭を洗う)」 デス子「はいです、マスター(リンス中)」 シン「よし…痒い所とか無いか?」 デス子「ないで~す!」 シン「ん、じゃあ流そうか。(お湯かけ)」 デス子「ぷひゃあ…ぷるる(頭振り振り)」 浴槽~ シン「――デス子、今日は何して遊んだ?」 デス子「(首まで浸かり)えーっとですねぇ、学校のお友達とお砂遊びして~、ジャングルジムにのぼって~、それから…いっぱい遊んだです!」 シン「そりゃ楽しかったろ。元気に遊んだなら何よりだな…」 デス子「えへへ…」 シン「なあ、デス子。毎日楽しいか?」 デス子「楽しいです!デス子いっぱい遊んで、学校行って、ミューちゃん達と仲良くしてウキウキですよ~!」 シン「そうか…。」 デス子「でもでもマスター。」 シン「ん?」 デス子「デス子がいちばん嬉しいのは、マスターと一緒なのがいちばん嬉しいです。」 シン「デス子…」 デス子「マスターとお掃除したり、お料理したり、絵本読んで貰ったり、お昼寝したり…デス子、『にんげん』にしてくれたかみさまにありがとうございますっていつも思ってるです。」 シン「…なんだよ。面と向かって言われたら照れくさい――だろ!(お湯を飛ばす)」 デス子「わひゃあ!?マスターひどいです、お返しで~す!(反撃)」 シン「うぉっ!?両手使って飛ばすなっ!――よーし…おりゃおりゃっ!」 デス子「きゃははは!」 ――家族の語らいはお風呂でホンワカ、ゆったり…時に騒がしくするもの。シンとデス子の『家族のコミュニケーション』…そんなお話。
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『シンとデス子⑥』 シン「ただいまー(仕事から帰ってきた)デス子ー…」 デス子「マスターおかえりなさ~いです!(ジャンプ抱きつき+頬にチュウ)」 シン「ただいま。デス子、昨日の約束覚えてるか?」 デス子「昨日のですかぁ?―――あっ!?」 シン「ほら、約束通り買ってきたぞ。」 デス子「やったぁぁです!レイ○ングハート(ストライカーズ版)ですぅぅ!」シン「これでよかったんだっけ?」 デス子「はいですそうです!レイ○ングハート、せーっとあーっぷでーす!(買って貰ったリリカルマジカルな杖を早速振り回す)」 シン「はは、余程気に入ったんだな。そのオモチャ。」 デス子「はいです、デス子このアニメ大好きなんで~す!ねぇねぇマスター、見てて下さいですよ!こう、ぱぁーって真っ赤に光って、 ぴか一ってなってしゅるるんって変身して、くるくる回して真っ白なお洋服着るですよ~。」 シン「へぇ、そうなのか。ま、気に入ったみたいで良かったよ。それに約束だったしな?」 デス子「えへへ~…(ニコニコ)」 シン「学校のテストで80点取ったらオモチャ買うって約束したしな。」 デス子「デス子頑張ったですよ!頭からぷしゅーって噴き出たけど頑張ったです!」 シン「うん、頑張ったな。ただ、今回だけじゃなくて、いつでも頑張らないと駄目だからな?」 デス子「はーいです!」 シン「よし。じゃあ、お風呂入っておいで。それから夕飯にしような。」 デス子「はいです!マスター、マスターもお疲れなんですから入るですよ!」 シン「ん~…その方が早いか。じゃあデス子、お風呂の用意頼むな。」 デス子「ラジャーです!…あ、マスター。」 シン「ん?」 デス子「(ペコリとお辞儀)ありがとうです!」 シン「(風呂場に入っていくデス子に小さく笑い)ありがとう…か。それはオレが言いたいんだけどな…。」 デス子「(風呂場で響く歌声)ぎんがーをまーうてーんしーのさーさやきー♪」 シン「……お前がいなければ……オレは…。」 デス子「マスター、はーやーくーですよー!」 シン「―――ああ!今行く!」 ―――何気ない日常こそ幸せな事。そんなお話。 前へ 次へ 一覧へ
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シンとデス子⑨ デス子「行け~!そこだ~で~す!」 ???「うわぁー、カッコいいね!」 シン「(仕事部屋から出て来て)何か賑やかだな――ん?ああ、ミューちゃん来てたんだっけ。」 ミュー「あ、デス子ちゃんのおにいちゃん、おじゃましてまーす!(TVから向き直りシンにお辞儀)」 シン「いらっしゃい。2人でTV見てたのか…」 TVの中の青い髪の少女「行くよ!マ○ハキャリバー!」 デス子「マスターマスター、この女の子がカッコいいんですよ!おててのま○はきゃりばぁがぐるーってなって、ドカーン!ってなるですよ!」 ミュー「カッコいいよねー、ス○ル!」 デス子「カッコいいです~。」 デス子、ミュー「「ねー。」」 シン「ははは。2人共このアニメが好きなんだな。」 デス子「はいです。デス子とミューちゃんと、よくリ○カルな○はごっこして遊ぶですよ~。」 ミュー「わたしがフェ○トで、デス子ちゃんがな○はなの。」 シン「へぇ…そうなのか。そりゃ楽しそうだな(ああ、だからあのレイジングなんとかって杖欲しがってたんだな…納得)。」 デス子「これから公園でリリ○ルごっこするですよ。」 ミュー「今日はユキちゃんやシンディちゃんもくるから、は○てとティ○ナやるって言ってたよー!」 デス子「わぁ~い!みんなで遊ぶですよ~!」 シン「公園か。暗くなる前に帰って来るんだぞ。後、あまり遠くには行かないように。いいな?」 デス子、ミュー「「は~~い!」」 シン「よし。なら、思う存分遊んでこい!」 ミュー「はーい、じゃあ、デス子ちゃんのおにいちゃん、行ってきます!」 シン「ああ、行っておいで。デス子を宜しくな。」 デス子「マスター、いってきますです。」 シン「行っておいで。気を付けてな。」 デス子「はいです。後…」 シン「ん?」 デス子「(ぴょんとジャンプし、シンにしがみついて頬にチュウ)行ってきますのごあいさつです!」 シン「…そういえば、そうだな。(デス子の頬に軽くチュウ)―――さ、ミューちゃん待ってるぞ。行っておいで。」 デス子「は~~いです!(レイジ○グハートを握って駆け出す)」 シン「(見送りながら苦笑)―――…オレも随分と親バカ、かな。」 (父さん、母さん。2人共、オレやマユが子供だった頃…どんな気持ちだったか……今なら、解るよ。) シン「―――これが…この暖かさが、幸せなんだな。」 ―――かつて自分や妹に、両親がおしみなく捧げてくれた愛情を、デス子を通じて感じるシン――そんなお話。
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~~プラント内、アーケードの喫茶にて~~ ルナ「あれ、シン何のパンフレット見てるの?(買い物に来てシン発見)」 シン「(喫茶に入って来たルナマリアをチラっと見て)うん?ああ、ルナか。…いや、ちょっとデス子にね。」 ~~眺めていた「入学案内パンフレット」をルナマリアに見せるシン~~ ルナ「――これって…ジュニアスクールの?」 シン「まあな。デス子、最近色々友達が出来たみたいでさ。ただ、その子達は普段学校通ってるから、デス子も寂しいみたいなんだ。」 ルナ「あー…成る程ね。」シン「で、昨日デス子に学校行きたいか?って聞いたら、行きたいって即答されてさ。」 ルナ「へぇぇ、それで色々調べてたのね。んで?デス子ちゃん、編入するなら何年生位?」 シン「見た目は多分2、3年生で通用するだろうな。学力は悪くないし。オレが毎日少しずつ、教えてるから。」 ルナ「…そっかぁ。良かったね、デス子ちゃん。」 シン「そうだな…。元MSでも、人間になって意思があるなら、ちゃんと育ててやりたいし…。」 ルナ「ううん。それもあるけど…良かったって思ったのはさ、あんたが物凄くパパしていて良かったね…って。」 シン「…そうかな?」 ルナ「そうだよ。だって今のあんた見てると考えちゃうもの……あの時あたし達別れずにいて、子供なんて出来てたら …あんたがこんな良いパパになっててくれたのかも…って。」 シン「(淋しそうに小さく笑う)……よせよ、2年前のオレ達は傷の舐め合いでしか無かったから、続かなかったんだろ。」 ルナ「……そう…ね。ねぇ、シン。あんた、今もザフトに戻る気は無いの?皆あんたを必要としてるのよ?」 シン「……無い。政治と軍の頭がアイツらに刷り替わっただけで争いが無くなるなんてほざいてる所になんて、戻りたく無いよ ―――(携帯の着信音)っと、悪い…はい…あぁ、デス子か。どうした?……うん、うん…解った、すぐ戻るから、洗濯物ちゃんと 畳んでおくんだぞ?…ハイハイ、プラントマンチップス買っていってやるよ。じゃあ、頼むな。……ごめんルナ、オレはこれで。」 ルナ「うん、いいよ。気にしないで。あたしも久々に顔が見れて、嬉しかったし。――デス子ちゃん、待ってるでしょ?」 シン「ああ、『マスター、お布団取り込みたいけどデス子じゃ重くて取り込めないです、只今お布団と格闘中です~!』…だそうだ。」 ルナ「アハハ、可愛い~!ねえ、今度デス子ちゃんに会いに行っていい?」 シン「いいよ、デス子も喜ぶしな。――じゃ、またな。(自分とルナマリアの会計を済ませ、先に出るシン)」 ルナ「(アーケードを行くシンを眺め)……ホント、良いパパだと思うわ。もし…続いてたら、あたし達…ハァ、未練がましいなぁ…あたし。」 ~~デス子の善き父親代わりを務めたいシンと、未練を残しながら幸せな2人を見守るルナマリア…そんなお話。 前へ 次へ 一覧へ
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『シンとデス子⑧』 デス子「……(正座してびくびく)」 シン「……(デス子の正面でじっと座る)」 デス子「……あぅ…」 シン「…デス子。ウチの決まりは何だったっけ?」 デス子「………遊びにいく時は、お手伝いしてから、です…」 シン「だな。で?今、こうしてる理由…わかるよな?」 デス子「はいです…デス子はミューちゃんのお家に遊びにいく時、お洗濯物を畳むのと掃除機をかけなかったから…です(声のトーンが徐々に小さくなり俯く)」 シン「分かってるなら、何でやらなかったんだ?」 デス子「あの…その…」 シン「早く遊びに行きたかったんだろ?」 デス子「……はいです。」 シン「遊ぶのはいい。お前はまだ小さいんだから、学校行って勉強して…それ以上に遊ぶのは当たり前なんだ。それはオレも口を挟まないよ。ただ、家でやる事をきちんとやってからだ。違うか?」 デス子「…(じわじわ涙目)はい、です…」 シン「遊ぶのも、勉強するのも、家の手伝いも。皆大事な事なんだ。―――解ったか?」 デス子「うくっ…はい…です…。」 シン「よし、じゃあ今回はこれで勘弁してやる(立ち上がりデス子を脇に抱え)。」 デス子「うぇっ!?」 (ビターン!とデス子のお尻を叩く) デス子「うわぁぁぁぁん!マスターごめんなさいですーっ!ごめんなさいー!びぇぇぇん!」 シン「…痛かっただろうけど…解ったか?」 デス子「ひっく、ふぇぇ…ごめんなさいマスター、デス子いい子になりますぅ…」 シン「(デス子を抱き上げ)デス子、いい子ってのはさ。言うことを聞くからいいって訳じゃないんだ。それは、これからだよ…。」 シン(そうだよ。オレはお前にいい子になる事なんて望んじゃいない。ただ…) シン「―――普通の女の子として、普通に幸せになってくれ。」 デス子「ぐすっ…マスタぁ?(不思議そうにシンを間近から見つめる)」 シン「あ。なんでもない。――さあ、ご飯にしよう。」 デス子「は~い、デス子お手伝いするで~す!」 シン「お?それなら、ホウレン草切ってもらおうかな。」 デス子「は~い!!」 シン「(踏み台に上がり必死に包丁と格闘中のデス子を見ながら)でも…人間どうなるか、本当に解らないもんだよなぁ…オレが説教なんて。まぁ…オレもアイツの保護者らしくしないと、な。」 ―――いつかデス子に聞かせてあげよう。今日のお説教は、幼かった頃、正に自分が父親から受けた内容と同じだった事を。あの時ぶたれたお尻は、凄く痛かった事を―――そんなお話。
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シンとデス子⑩ シン「………(洋服店で子供服とにらめっこ)」 店員「いらっしゃいませ、子供服をお探しですか?」 シン「あ…ええ。8歳(見た目で)の女の子なんですけど…何か良いのはありますか?」 店員「まぁ、妹さんのお洋服ですのね。―――ちなみに、そのお子さんは活発ですか?それともおとなしい?」 シン「うーん…活発ですね。いつも元気が余り余ってるかな。」 店員「でしたら、動きやすいこちらの服は如何です?」 シン「(差し出された服を眺め)へぇ…こんなのあるんだ…。」 店員「プラントは気温調整が万全ですから、このように薄地と厚地の中間の生地を活かしたデザインの服が流行っているんです。」 シン「(暫し身に付けたデス子を想像し…)―――うん、いいかも。じゃあこれ下さい。」 ~プラントメインアーケードのファーストフード店内~ シン「―――まぁ、そんな感じでデス子の新しい服を買って帰ったんだ。」 ルナマリア「へー、それで、デス子ちゃんの反応は?」 シン「ああ、それなら――ほら(胸元から携帯端末を取出し、画像を見せる)。」 ルナマリア「うわー、デス子ちゃんいい笑顔じゃない!よっぽど嬉しかったのね。よく似合ってるし。」 シン「『マスターありがとうです!』って喜んでくれるのは嬉しいんだけどな…寝る時まで着たがってたからパジャマに着替えさせるのが大変だった…。」 ルナマリア「あら、可愛いじゃない。アタシもあったわよ、そういう時って。」 シン「そうなんだ…女の子って、皆そんな時は同じなのか?」 ルナマリア「ん~…まあ、女の子に限らず嬉しいなら誰でもそうでしょ。服じゃなくてもね。デス子ちゃんはアンタに貰ったり何かしてもらえばなんでも嬉しいのよ、きっとね。」 シン「―――そう…かな?」 ルナマリア「そうよ。だからアンタに掛け根無しに甘えるし、信頼してるんでしょ?しっかりしなきゃね、お父さん!」 シン「…うん…そうだよな、オレだってデス子の事もっと理解して、立派な保護者にならないとな。」 ルナマリア「そうそう、その意気よ。」 シン「サンキュー、ルナ。話せて良かったよ。―――でも偶然ルナに会わなかったら、こんな話できなかったなぁ…。」 ルナマリア「丁度部隊の休みだったから、買い物がてらぶらついてたのよ。気にしないで、アタシもいい暇潰しになったから。それにデス子ちゃんの可愛い姿見れたしね。」 シン「サンキュールナ。…あ、どうせだったらウチに来ないか?デス子がお前に会いたがってたぞ。」 ルナマリア「それはもう!―――って言いたいんだけど、ごめんね、今部隊の子からメールが来てさ。何かトラブっちゃったらしいのよ。アタシ行かなきゃ…」 シン「そっか…じゃあまた今度来いよ。」 ルナマリア「うん、おじゃまさせて貰うわね。」 シン「じゃあ、またな!」 ルナマリア「(シンが店内を出た後、ため息)―――嘘ついてごめん、アタシは今日は暇よ。」 ルナマリア「(デス子ちゃんをだしに使ってアンタに会いたいなんて……嫌な女ね、アタシって…。)」 ルナマリア「この気持ちが吹っ切れるまで…アタシ、アンタの暮らしに入っていけないよ…」 ―――幸せそうなシンとデス子の姿に安堵と後ろめたさを感じるルナマリア。シンは気付いているのか、いないのか…そんなお話。
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【種別】 登場人物・戦隊 【名前】 侍戦隊 シンケンジャー 【よみがな】 さいむらいせんたい しんけんじゃー 【メンバー】 シンケンレッド(志葉丈瑠) シンケンブルー(池波流之介) シンケンピンク(白石茉子) シンケングリーン(谷千明) シンケンイエロー(花織ことは) 【追加メンバー】 シンケンゴールド(梅盛源太) シンケンレッド(志葉薫) 【支援者】 日下部彦馬・丹波歳蔵 ほか 【その他】 ダイゴヨウ 【概要】 本作における主人公たち。モヂカラという特別な力を使う戦隊で、メンバーは志葉当主とその家臣で構成される。 それぞれの家ごとにモヂカラと色を1つずつ受け継いでいる(例:池波家は代々シンケンブルーと「水」とモヂカラを受け継いでいる)。 近年の戦隊シリーズのような専用ジャケットは用意されていないが、変身時には袴姿で揃えることがある。 袴の色は丈瑠・流之介・千明が紺、茉子とことはが黄色、源太が黒、薫が銀色となっている。 名乗りは一人目が「シンケン○○、××××」、二人目以降が「同じく○○、××××」(○○は該当する色、××××は変身前のフルネーム)と順に言い、 最後に「天下御免の侍戦隊・シンケンジャー、参る!!」と口上する。主にレッドが一人目に名乗ることが多い。 勝利後は「これにて一件落着」で締める。源太の加入後は「勝利の1本締め」を行うこともあった。 +... (ネタバレを含む) 源太の登場時は侍の家系でない者を加えるかどうかが問題にされたが、彼の実力とやる気を彦馬やメンバーが認めたことで加入が実現した。 また終盤では志葉家十八代目当主・志葉薫が登場し、丈瑠が彼女の影武者であることが明かされた。 立場の無くなった丈瑠と彼を支援しようとする源太は独立行動をとってうたため、他の5名が戦隊として活動した時期があった。 また丈瑠の復帰直後に薫が怪我で戦線離脱をしたため、2人のレッドが揃うことはなかった。 【関連するページ】 メニュー
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目次 1.価値観変革のための指導者 2.地獄観について 3.天国も地獄もあなた自身の心の中にある 4.神は、地獄霊救出のために永遠の時間と機会を与えられている 5.鮭のように自分の生れ故郷の川(神の国)を忘れず帰ってきて欲しい 6.地獄霊は病人、地獄界は神が用意された病院である 7.地上での光の天使は医師の役割 8.人はこの世で例題に学び、答えのない応用問題を解かねばならぬ 9.天上界にもリーダーは居る。ただしそれは「村長(むらおさ)」というかたちで 10.健康な人間には真の健康の有難さが分らない 11.悠々たる大河の大らかさに学べ (1968年7月、GLA主宰、高橋信次師が、始めて雪道を開いた時に現われた、初期の師の守護霊フワン・シン・フワイ・シンフォーといわれる方の本名は、天台智顗大師であります。) 5.鮭のように自分の生れ故郷の川(神の国)を忘れず帰ってきて欲しい 智顗 別に戦争に出かけているわけではありません。彼らは古里を忘れてしまっているのです。あなたの古里はこちらですよ――と、私たちは教えたいのです。 鮭が川を遡って来るでしょう。自分の生れ故郷の川の水、川の匂いを嗅いで海から遡って来るでしょう。そのとき、遡って来れない鮭に対して、私たちは、こちらだよ、こちらだよ、と、教えたいわけなのです。 富山 彼らにとっては、今のところが第二の古里になっているわけでしょう。 智顗 知らないのです。わからなくなっているのです。 富山 わかっている人もいるわけですね。 智顗 そうです。わかっている人も。 富山 わかっていながら第二の故郷を選んでいる人も……。 智顗 そういうことはないでしょう。私はあなたのその上とか、下とかいう考え方、概念がひじょうに嫌いなんです。そういう概念、あなた、その概念がもう心に巣喰っています。上とか下とか、上げるとか落ちるとか、そういう、その考え止めてほしいんです。是非止めて下さい。 富山 部分と考えたらよいわけですか、一つの心の中の様々な部分と ――。 智顗 違います。それも違います。 富山 例えば価値観の違い、今様に言うならば、自由主義国と、共産主義国のような価値観の異う世界と考えればよろしいか。 智顗 何んとも申せません。とにかく、上とか下とかいう考えは捨てて下さい。あなたその考えにものすごく毒されています。一歩誤ればあなた悪い方向に行きます。そういう考えをもっていれば悪い方向へ行きますよ。 富山 ―― はい、こころします ――。 智顗 あいつは悪人だから直してやりたい、訓練して真人間にもどしてやりたいと、そういう気持ではないんです。私たちは、善人であれ、悪人であれ、懐かしい故郷へ帰って来てほしいと、そういう念いなのです。判りますか、言っていることが分りますでしょうか。あいつは悪人だ。しっかり直して、わたしたちが居る上流社会へ連れて来たいんだ。あいつはみすぼらしい格好をしてマナーも知らない、そのマナーを叩き込んで、直して、悪いところを直して、髪も整え風呂にも入れてきれいにして、そして私たちの上流社会に帰したいと、そういう風に私たちは考えてはいないのです。どのような格好をし、どのような身なりをし、どのような境遇であろうとも、もとの懐かしい世界へ帰って来てほしい、そういう想いで一杯であって、そういう想いを仕事として伝えるのが私たち光の天使の役割なのです。決して偉いんじゃないのです。 富山 ―― 高橋信次先生のお話では、自らの過ちは自ら反省して、神の赦しを得るということがあるんですけれども、そういうことが前提となっているという考えがうかがえるのですけれど……。 智顗 生きている人間に対してでしょう、それは。 富山 いいえ、地獄に陥ちている人間に対してです。 智顗 地獄に陥ちている人間に対して? 富山 ―― はい、自らの罪を反省して、心の曇をとって、神の赦しをお願いして、そのことによって天上界へ還って行けるのだということですが。 智顗 それは、いわゆる地獄に落ちている人達の立場から考えた場合はそうだということなのです。私が言っているのは、私たちの立場から考えればどうなるかと言っているのです。 富山 ――分りました。もしそうだというなれば救済、一種の救済法と考えてよろしいか。 智顗 救済という言葉は、私は嫌いであります。 富山 ―― それを通さないといけないという施(ほどこし)の方法論と考えてよろしいでしょうか。 智顗 どうも、そういう何といいますか、理屈っぽい言い方ひじょうに嫌いなんです。私たちの魂の古里には神が居られます。私たちは神を知っております。懐かしい神を知って居ります。その神について念いを起こしてほしい、そう思うんです。いまあなたが言われる反省というのは、どうしてその懐かしいものを失ったか、どうしてそちらから眼をそむけてしまったのか、それに気付いてほしい、それが反省であります。想い起こしてほしい、どうして違う方向へ行ってしまったのか。 富山 そうしますと、反省というものは、させられるものではなく、自発的にするものだということなのでしょうか。 智顗 どうも、今の考えも嫌いです。どうもあなたの頭の中には教育的な要素のもの、なにか訓練する、教育するというような考え方の要素があるように私には思われます。 どうも私はその啓蒙とかいうあなたの考え方にはついていけません。そういう見下した考えがあるように私には思われます。そうではないのです。 富山 ―― 現在地上に流布されている宗教の概念とは、そういうことではないですか。 智顗 上とか、下とかじゃないんです。乳と蜜の流れる地、美しい地、懐かしい地、この地に還って来てほしいという平面的想いを念えばいいのです。いろんな地域があるんです。たまたまジャングルで今苦しんでいる人も居るんです。ジャングルの中で、砂漠の中で、飢えている人もいるんです。水の中に住んでいる人もいるんです。いろんな人がいるんですが、乳と蜜に溢れた懐かしい、美しい地があるんだよと、みんな、元はそこに居たんだよ、そこからいまジャングルの中に行っているんだよと、ジャングルはもともとあなたが住んでいた世界じゃない、ここがあなたの古里なんですよと―― それに気が付いてほしいだけであって、上とか、下とか、救うとか、そういうのとは違うんです。もし、あなたが救うというような心でもって地獄に陥ちている人達に接しようとすれば、やがてあなたは間違った方向に行くようになるでしょう――。そうではないのです。よくよく思い出して下さい。この美しい、懐かしい、楽しい地に気付いてほしいという念いが天使の想いなんです。 分ってほしい。客観的には、救うとかいう状況が出てくるでしょう。けれど、そういう思いではないのだということを忘れないでほしいのです。そこのところの原点を間違うと、あなたは大変な方向に行ってしまいます。 富山 つまり喜びを分かち与えたいという。 智顗 分かち与えたいというような、そんなんじゃないのです。まだ分りませんか。 富山 では、一緒に喜んで欲しい……。 智顗 あなたにも父母が居られましょう。あなたの父母は、あなたが勤務地から休暇で帰られることを、無条件で喜んで居られるはずです。それは今のあなたがもっと立派になって、出世しておれば、嬉しいかも知れませんが、あなたが出世しておろうが、居まいが、あなたが良い身形をしていようが、いまいが、あなたが罪を犯していようが、いまいが、故郷に帰って来てくれることが、それが嬉しいのです。父母としては、帰って来いよ、帰って来いよという電話をかけたり、手紙を書いたりします。そのことは、あなたをよくしようとか、喜びを分かち与えたいとか、そういうことじゃないんです。わかりますでしょう。゛愛゛は理屈じゃないんです。あなたは理屈のフィルターを通して、ものごとを考えすぎます。そうじゃない。無条件の喜びなんです。帰ってきてほしいという思いなんです ――。救い出すとか、引っ張り上げるとか、そういう考えどうか今日を機会に改めてほしいのです。 富山 ―― はい ――。 智顗 あなたの父母が、あなたを京都から呼び寄せるのは、これはあなたを救い出すためでも何んでもない。懐かしい故郷に帰って来てほしいという思いです。それは懐かしい故郷には楽しいことがあります。心の安らぎがあります。愛もあります。懐かしい会話があります。そういうものなんです。この懐かしい家庭に帰るという意味なんです。天上界に引っ張り上げるという意味じゃないんです。どうか、そのことを、何度も、なんども、しつこく言いますけれど、その思い、私のこの念いをどうか感じとってほしいのです。 富山 そうすると地獄界に居る人は、それを誤解しているわけですね ――。 智顗 いろんな人が居ます。誤解も六階もない面があります。いろんな人が居ります。たまたま、そのうちの部分的な人をみてすべてを語るのは問題であります。 例えば、また同じ比喩を使わして頂きますが、あなたの父母が、あなたに、ふるさとに帰れ、といっても、あなたがひじょうに抵抗する時期もあるはずです。そうですね、あなたにはあなたの予定がある。私はこれからこういうことをしなければならないから、今は帰りたくない、という場合があるわけですね。そういう面が同じようにあるわけです。地獄で威張っている人もいるんです。俺はいま、威張っているんだと、いろんな部下が居るんだと、子分がいるんだと、面白いわい、という人もいるわけですね。そういうときに故郷に帰れ、帰れといっても、いや俺はいまやっていることがあるんだと、俺は満足しているんだと、いうひとも必ず出てくるんです――。そして反省とは、帰りたいという気持が起きたときなんです。言わば、おふくろの味を想い出して、ああ、あの味にも一度めぐり会いたいと思い出したときにそれが反省になり、天上界へ戻る道標(みちしるべ)になるわけです。しかしそれを忘れてしまっている人もいるわけですね、その世界でもう生きている。しかし、たまに母の味、母の気持を想い出すことがあるわけですね。それを想い出しなさい、反省しなさいというのは、そういうことなのです。かつての懐かしい家庭ですね、笑しい、楽しい団欒、それを想い起こしなさい。あなたのもと居た世界はそういう世界ですよ――。そういう暖かい家庭からあなたはどうしていまこんな世界に居るんですか、それに気付いて下さいよ。それが反省なんですね。反省して下さいというのはそういう意味です。ここを勘違いしないでほしいのです。気付いてほしいということなのです――。田舎を想い出した時に、田舎の母と逢いたい、母の作ったものが食べたいと思った時に、あなたは離れた遠隔の地から郷里に帰ろうかという気が起きるわけですね。それも、あなた自身が汽車に乗り船に乗って帰ってこなければ郷里には誰も帰って来させられないんですね。わかりますでしょう。自力とはそういう意味です。あなたが郷里を想い起こして、故郷の父や母に逢いたいと思い、先ず思うということが先決です。この思うということが反省なんです。それから精進がありますね、。努力、あなたが様々な交通機関を使って帰ってくるということです。自力というのはあなた自身が足を運ばなければ、あなたは郷里へ来るということはできないということです。誰が大の男を連れて帰りますか。 富山 その場所が故郷になるということはないですか? 智顗 ――それは、地獄が天国だと思っている人は、それはそうだということですよ。私はいま比喩で言っているのですよ。分って下さいよ、比喩をいま使っているのですよ。いいですね。ですからあなたがいま、さきほど質問されましたね、あなた方はどうして地獄を放って置くんですかと、引き上げられないんですかと――。それはね、例えばわたしたちが京都の下宿のあなたのところへ出向いてですね、あなたに繩をつけて、あなたを郷里へ引っ張って帰るというような強引な手段に当るわけですね。それは、あなたを、あなたの人権を、あなたの人間としての個性を尊重するならできないわけですね。やはりあなた自身が、ご自身の足で帰るということですね。それをしなければ帰れない。だから自力なんですね。そういう意味なんです。だから私たちとしては、天上界から、そのかつての懐かしい故郷に気がついてほしい、想い出してほしいと、さまざまな手段を工夫しているわけですが、私たちが直接引き上げてくるとか、引っ張ってくるというようなことではないということです。 富山 はい。そうすると、状況の変化がない限り、ずっとこのままいくわけですね。 智顗 どういうことですか。 富山 いまの状態で、一つの変化というか、転回の時だと思うのです、それがうまくいかなかった時はいまの状態でずっといくということですね。 智顗 そうです。 富山 宗教家たちが多く陥るその間違いというのは、救済者の立楊に立つということですね。 智顗 それも最大の問違いの一つであります。どうがいま私が言った譬をよくよく憶えておいてほしい。そういう気持だということです。救い上げるというような気持ではないということです。そういうわけで、私たちの仕事というのは、古里の川に、その懐かしさに気付いてほしい、そういうことなんです。電話をかけたり、手紙を出したりしているわけですね、そういうようなひじょうに、言ってみれば、ソフトな手段ですね。それでも見向きもしない人もいるわけです。しかしそれをきっかけに帰って来る人も居るんです。そういうことなのです。 富山 帰ろうと思えば帰れるんですね。 智顗 そうです。みんな自分が帰ろうと思えば帰れるんです。例えばいま、現代的な説明をするとすれば、いまちょっとこちらで大切なことがあるとか、或は、今は金の工面がつかないから帰れない、そういうふうにして帰らない、いろいろと理由があるんです。地獄に居る人にもそれぞれの理由があるんです。みんな一人ひとり、それぞれの理由があるんです。 富山 帰りたいが、もう帰れないと思っている人も……。 智顗 と、思っている人もいるわけですね。それは帰る方法が分らない、どうやったら帰れるか分らない。 富山 それは、だから教えてあげなければいけない面があるわけですね。地図がなくて迷子になっている人も居るんですね、中には。そういう人たちに天上界への呼びかけをするという意味の一つには、地上界の人を通して、地獄界の方へも働きかけをする。呼びかけをするという意味もあるわけですね。私も何度かそういう体験をしたことがありますけれども。 智顗 勿論それもあります。 富山 それから地上の生活を縁として死後、それぞれ様々な世界へ行くわけですけれど、まず、その行く前に覚えておくというか、こういう死後の仕組を覚えておいてほしいということもあるのですね。 智顗 この地上界は、さまざまな人間に出会える機会であります。唯一の機会であります。いろんなひとがいます。善人も悪人もいます。イエス様や、お釈迦様のような人もいます。しかしまた極悪非道な人もいます。これだけいろんな人に会える機会というものはないのであります。 6.地獄霊は病人、地獄界は神が用意された病院である 富山 要するにこの地上界外の異次元世界では、いま大きく分ければ二つの世界があるということですね。 智顗 そうですね。まあ「天国」と「地獄」というような考えを持つよりは、いま健康でいる人と、病気で病んでいる人がいると考えてほしいのです。 病気で病んでいる人がいますね、病気で病んでいる人は抹殺してしまうとか、そういうのは危険ですね ――、そういうことなんですよ。病気をしている人はある程度病院で入院して治療しなければいけないんですね。根気よく。そうして、やがて健康体にかえってほしいということなんですね。病院がいけないわけではないんです。どんな健康な人でも病気になることがあるんです。ですから天上界霊、地獄界の霊が居るというように、二元的に考えてほしくないんです。人間には、健康なときと、病気のときがある。病人という種類の人が居るんじゃないんです。健康人という種類の人間がいるんじゃないんです。本来、みな健康な人間であるべきなんです。ところがある時病んでしまうときがある。わかりますでしょう。病気というのはある程度の治療、治療期間がなければ癒らないのですね。ですから、地獄を考えるときに、これからは地獄霊、地獄の人、地獄の住人という別種の人間が居ると考えないでほしいんです。病人が居ると思ってほしいんです。健康な人も、病いに臥せっている人も、神からみれば同じく自分の子供なんです。病人が悪いんじゃないんです。だからあなたは、地獄霊を思うとき、彼らは病んでいるんだと、病人だと思って下さい。いま病気なんだけど、もともとは健康な人間なんです。人間は病気になれば、我儘も言えば、愚痴も言う。さまざまなことを言うんです。不平不満が一杯ですからね、病気だからもう自分だけのことしか考えられないんです。分りますでしょう。 地獄霊がなぜ、自我我欲、自己保存、それに振り廻されるのか、それは彼らが病人だからです。病人を見てみなさい、病院へ行って病床についている病人をみてみなさい。彼らはもう自分のことしか考えていないんです。どうやったら病気が治るか、自分のことしか考えていないんです。痛みが直らないだろうか、美味しいものが食べたい、元気になったらどこそこへ行って遊んでみたいと、自分のことしか彼らは考えていないんです。それは病気だからです。そういうふうに思ってほしいんです。―― だから病人族という人が居るんじゃないんだということを、健康な人が病気になることもあれば、病人がまた健康になることもあるということ、そういうふうに考えて下さい。 富山 本来健康な状態が神に与えられた状態だということですね。 智顗 そうです。だから地獄を責めるよりも、病人の姿を想い出してほしいんです。彼らは我儘を言うけれど、あなたは病気をしている人達の我儘に耐えることはできますでしょう、ある程度。ああこの人はいま病気だから我儘を言っているけれども、この人は健康であれば、こういうことは言わないはずだと、あなたはわかるはずですね。そういうふうに考えてほしいんです。 中にはね、病人の中でも、もう気狂のようになっている人もいますよね、もうどうにもならない人が居ますよね。そういう人も居るんです。それが地獄の魔王、サタンといわれる人達です。わかってくれないんです ――。だから地獄界というものを神がなぜ存続させるのか、と、あなたは考えるかも知れないけれども、そういう比喩からいうなれば、こういうふうに置きかえたらいいんです ――。みんな健康な人間であるべきだのに、なぜ病院なんてあるんでしょうかとね、ということなんです。病院なんて潰してしまえ、と、そしたら病人は居なくなるだろうと、そういう考えなんですね、そうじゃない、病院が悪いんじゃないんです。 富山 病人がいる限り病院があるということですね。 智顗 しかし、ふつう人間というものは、健康人と、病人というふた種類の人間がいると考えた場合には、ああ病院があるから、病人はここにいるのか、病院という建物を壊してしまえば病人も居なくなってしまうと、なぜかそういう錯覚に陥ってしまうのですね。 そういうことなんです。だから地獄界は病院だと思って下さい。病院なんです。神は、病院を用意されているわけです。―― 病院の中は暗く、じめじめした人がいっぱい居るわけですね、苦しみの声、苦痛の声が高く低くいろいろ漏れている。悲しみの声が、呻きの声がそこからもここからも聞こえてくる。しかし、病院自体はなにも悪くはないのです。 例えばそのような苦しみや、悩みや、或は愚痴や不満で一杯の人、こういうひとをですね、もし病院というものを無くして、普通の生活者と同じようなところに置いておいたら、これは大変なことになる場合もある、わかるでしょう。だからある程度病院のようなところで、もう一度立ち直るという機会を与える必要もある。地獄の存在意義もそういうところにあるわけなんです。病人は病人としてその病気、病いを直すことに専念してほしいということ、ですから地獄という組織そのものが、大きな慈悲の産物であるということ、これに気がついてほしいんです。地獄という存在自体が悪いんじゃない。地獄の存在自体が慈悲の存在であるということです。そういうものを設けて反省の機会を待っておられる。健康になる機会を待っておられる神、これは神の慈悲なのです。地獄を悪と思うのは止めてほしいのです。地獄は慈悲の所産なのです。神の用意された病院なのです。そういうふうに考えてほしいのです。そうすればあなたの先程の疑問はかなり直るのではないでしょうか。始めのうちは人間は少なくて、みんなが幸福に過ごしていたときには病院なんてなかったのです。たとえ病気になっても、すぐ治ったのですが、しかし世の中が進んで、さまざまな生活様式が生れ、病気の数もふえてきました。病人がいろいろとふえてきたわけですね。これが地獄界の人ロ増となっているわけです。元はそんなに病気もなかったわけですね。切り傷、ひっかき傷、怪我、そういうことはあったかも知れません。しかし原始人間が住んでいた頃には病気の種類もそれ程なかったわけです。しかし文明が進んでくると、様々な病気が出てきました。癌、高血圧、内臓の疾患など様々ですが、その病気に合わした総合病院が必要になってきたわけです。その地獄という総合病院の中には小児科もあれば、耳鼻科もあれば、皮膚科もあればいろんな専門病科もあるわけですね。それが地獄のさまざまな組織ですね。動物界もあれば、阿修羅界もある。また阿鼻叫喚地獄のようなところもあります。血の池地獄のようなところもあります。それは様々な病院の分化と考えていただければいいわけです。もともとは、昔は、単に病んでいる人だけが居ただけです。しかし、今はその病み方がこうこういう原因によって病んだという様々な種類に別れてきているわけです。そのために病院の総合化が進んでいるわけです。そういうことなんです。 7.地上での光の天使は医師の役割 富山 そうするとその病院で医師の役割をしている人達はいないんでしょうか。 智顗 居るわけですね、それが光の天使たちでもあるわけですね。彼らは、私達もそうですが、定期的に行って救おうとしているし、また地上というそのことを伝え易いところにおいて、現にいろんなことをしているわけですね、いろんな人が ――。 富山 光の天使が地上に出て来ているのもそういう仕事があるからですね。 智顗 そうです。監獄であり、社会施設であります。 富山 自然治癒にまかしているというわけではないのですね。 智顗 ないわけですね。だから光の天使達が地上に降りて正法を説いたりするのも、理由の一つはやはり治療です。医者であり、看護婦でありということですね。ですからまず先ほど上と下というような考えをやめてほしいということを私は語りました。次には、地獄界の存在自体を゛悪゛という考えも止めてほしいということですね。病院だというふうに考えてほしいし、地獄で現に、悩んでいる苦しんでいる人達の姿は、病院の中にある姿と変らないということですね。ありとあらゆる苦しみがありますから、そういうふうに考えてほしい。病院を無くせば患者が居なくなるわけではない。患者は各自また自宅で悩むだけのことです。そういうことですから地獄界の組織そのものが悪い、それを無くさなければいけないというような考えは、考え直してほしいわけです。これも神の慈悲のもとにあるということですね。 8.人はこの世で例題に学び、答えのない応用問題を解かねばならぬ 富山 それからいま一つ伺いたいのですけれども、自分自身の行動を、こうと決めるのは自分自身ですね。 智顗 そのとおりです。 富山 そういう場合に、例えば高橋信次先生がとった行動なりお考えなりを規範としていくというととと、もしそれと違う心の状況が出てきた場合にどっちを採るべきかということが一つの悩みの原因となってきているのですが。 智顗 それが修行なんです。模範解答はあるわけですね、いわば、あなたのお得意の分野でいうならば、例題と、解答というのはあるわけであります。しかし例題と解答はいいんだけれども、その通りの問題は、現実生活においては出ないのですね。現実生活には様々な応用問題があるわけであります。応用問題のときにですね、その例題と解答との道筋ですね、それを参考にしてどのように解いていくが、これが各人の勉強であるわけです。だから高橋信次氏のような方というのは、いわば、教科書にあるような例題と解答、そういうもんだと考えてほしいんです。現実の問題はそういうもんではないのです。応用問題は、様々にあるんです。どういうふうにして解くか、それがあなたの実力になるわけです。 富山 例えば応用問題があった場合に、例題と違う解き方で解く方がうまく解けた場合は、その解き方で解いてもいいという場合もあるわけですね。 智顗 あるでしょうね。しかしそれが合っているかどうか、解答が与えられていないから、正解であるかどうかはわかりませんからね。要するに、自分が解いたけれど解答がない問題集を解いているような、人生というのは、解答がない問題集を自分で解いているようなところがあるわけですね。自分としては、次つぎと解いているのだけれども、果して合っているのかどうか、解らないんですね、そういうことです。 富山 それは、そちらの世界へ還った時点で分るのですね。 智顗 そういうことです。もっとも帰っても分らないひとも居ますがね。 富山 死んでそちらへ還ってもまだ判らない人も居ますか。 智顗 要するに、解答のない問題集をわたしたちは解いている。しかし例題と例題の解答は用意されているわけです。しかし他の問題については、問題だけあって解答は与えられていない。自分で問題は解くんだけれど、つぎつぎと問題は解くんだけれど、その答えが合っているかどうか判らない、例題と違う解き方をした。こういう解き方もあるんじゃないかと思う。しかしその答えが合っているかどうかは分らないのです。 富山 ただ、それは、自分個人の場合だったらいいですけれども、それが他の多くの人に影響を及ぼす場合には、ひじょうな危険なことになる場合もありますね。 智顗 ―― どういうことでしょう。 富山 例えば指導者的な立場にある人が、こういう方向が正しい方向と決めた場合に、もしそれが違っていた場合には、その集団全部の方向が違った方向へ決まってしまうわけですね。 智顗 そうですね、―― 例題と例題の解き方が違っていた場合には、大変なことになりますね。 富山 高橋先生の場合には、例えばお釈迦様とか、イエス様のような型で例題はある程度与えられていると思うのですけれども、高橋先生の場合も、あれは応用問題だったのでしょうか。 智顗 あなたは、私の言っていることの意味が分って居られない。私、ひじょうに残念です。 富山 ―― それでは模範解答なわけですね。 智顗 そうです。 富山 しかし、人は必ずしも模範解答通りいけない場合が多いですね。 智顗 そうです。―― それは、問題が微妙に変っているからです。 9.天上界にもリーダーは居る。ただしそれは「村長(むらおさ)」というかたちで 富山 ―― わかりました。ありがとうございました。それで大体分りました。―― ただいま一つ伺いたいんですけれども、例えばそちらの世界では、この地上でいうようなメシア信仰的な部面があるのでしょうか。 智顗 どういうことでしょう。 富山 崇拝し、敬い奉るという仕方なんですけれど、例えば地上界でキリスト教でイエス様を崇拝し、仏教ではお釈迦様、イスラム教ではマホメットを崇拝しているような形の信仰なり崇拝が、そちらの世界でも。 智顗 そちらの世界というのは、どういう世界を指しておられるのでしょうか。 富山 あなた方、あなたの住んで居られる世界では。 智顗 崇拝はありません。―― わたくしたちはみんな友達です。ただリーダーになる人はいます。みんな同級生なんです。しかしクラスの委員長になる人も、副委員長になる人も居るのです。その他何、何、係をする人も居るのです。 富山 例えば、地上界の考え方でいえば、国王とか女王とかいう意味ではなくして、総理大臣とか、大統領とかいうふうに一般の中から選ばれて。 智顗 あまり好きじゃないです。そういう言い方、あまり好きじゃないです。 富山 私たちは、そういう考え方しか与えられていないですね ――。 智顗 そうじゃないんです。あなたがそういう考え方をされたのです。 富山 ある考え方を比較する場合、ある一つの考え方と比較して、―― そうした方が理解が早いわけで、それでそういう例を出してきたわけなんですけれども。 智顗 いわば昔のですね「村長(むらおさ)」のようなもんだと理解して下さい。なぜ「むらおさ」が尊敬されるのか、それは様々の経験を通じてですね。こういう場合には、こうしたらいいという知恵ですね。知恵を持っている、村おさは、年期を経ているわけですが、それだけではなくて知恵を持っていて、こういう場合には過去こういうことがあった。その時にはこういうふうにしたと、いうような様々な知恵を持っているわけですね、そういう知恵を持っているから尊敬をされるわけですね、そういうものだと思ってほしいのです。 富山 支配者、という考えではなくして……。 智顗 支配者じゃなく、知恵あるものなのです。知恵あるものであって、みんながその人に対してですね、考えを問い質すわけですね。知恵あるものだと思って下さい。 ですから私が、総理大臣や、大統領という考え方と違うといったのは、そういう比喩が違うと言ったのは、その意味が分るでしょう。゛村長(むらおさ)゛のような知恵ある人、それて尊敬を集めているわけなのです。 富山 選ばれたものではないわけですね。 智顗 知恵あるもの……。 富山 既に在るというか ――。 智顗 偉い人でなくて尊敬されるべき人なんです。尊敬が集まる人。 富山 そうすると大分違いますね、地獄界の人たちの考え方とは。支配者という考え方とは明らかに違いますね ――。 智顗 違うでしょうね ――。知恵ある人とは、自分の知恵をさずけようとする。そういう関係ですね、自然とそういう道がつくわけですね。おわかりになりましたか。 富山 ―― ありがとうございました。 智顗 天上界、地獄界の大体の仕組とか、考えの方向とかが分って頂ければ、私としては、ひじょうに嬉しいです。 富山 ―― はい、大変ありがたかったです。私自身の迷いがそこにあったわけで、私自身一番大きな迷いというか、世界を観る眼が自分自身の偏見というか想いでみて苦しんでいたわけだと思うんですけれど。 智顗 卑下されることはないのであって、みんなそうなんです。みんなそれで苦しんでいるわけですね。その考えなり、想いがいかに純化されていくか、それが私たちの課題でもあるわけです。私の考えもまだ、知恵ある、最高の知恵あるものの考えではないわけで、私もまた知恵あるものに対してですね、私の考え方を正されるわけです。―― あなたの考えは違っているぞと、教えを乞う場合があるわけです。ですから私の考えもまた絶対なものと思ってほしくないのです。しかしながら、何らかの参考にはなると思います。 富山 ―― はい。基本的な考え方としては、参考としてよろしいですか。 智顗 そうです。―― まあ私がいままで言ってきたことを通して考えてほしいことは、あなたの意識の中から、上と下というような考え方、善と悪というような考え方、このような人間的な考え方を去ってほしい、止めてほしい。神のこころは善悪を超えたもの、上下を超えたものであるということ、そこを分ってほしいのです。 富山 完全なといいますか、人間知や、人間的行為そのものの中には゛絶対善゛というものはないのですね。 智顗 そうです。―― そうじゃなくて、善も悪も超えたものなのです。上も下も超えたものなのです。わかりますか。神がもし上であり、神がもし善、善悪の善であるならば、神がどうして全世界を包含するものになり得ましょうか。そうじゃない、―― 神は対立するものの一方に在るものではないのです。すべてを包含するものなのです。それとまた私は、われわれのリーダーのことを、平面的な譬を用いて語りました。われわれのリーダーは、大統領、首相とそうでない人との区別でみるのではなくて、「村おさ」知恵あるものという譬で語りました。これらのことを解ってほしいのです。 富山 いま一度復唱してみますと、善と悪というのは、人間の側からみた、例えば、神の意志に沿った線に行っている場合に善であり外れたら悪だという人間の考え方なんですね、神自身に善とか、悪とかいうものはなくて ――。 10.健康な人間には真の健康の有難さが分らない 智顗 だから健康な人と、病人というふうに考えてほしいということですね。これはさきほど言いましたね。病いも大事な時期があるのです。生きている人間、健康な人間、働いている時には健康の有難さがわからない、自分のいま持っている幸せ、価値が分らない。こういう人が病いにかかる。いったん病いを経験した時に、はじめて元気で生きていることの有難さ、父や母や家族の愛、親戚の愛、このようなものに思いを馳せることがあるわけなんですね。しかし健康で、自分が恵まれて、いろんなひとに評価されて、自分の我儘に生きていた場合には分らないのです。ですから病いには病いの役割があるのです。病いの状態はこの地上から無くさなければいけません。しかしながら、病いは病いとして役に立つ面もあるということも、一つの事実なのです。そのような病いを経なければ、人間は、幸せ、というものを感じることはできないのです。 また悪、というもの、善悪という対立、がなければ、人間は、善というものに気がつくことができないのです。その意味においては悪、とされることは、善、を伸ばすための素材であるということ、これはしっかり認識してほしいのですね。 しかしながら、実際の神のこころは、私たちの考えるような、善とか、悪とか、いうものを遥かに超えたものだということ、これはわかってほしいのです。 善悪は現にあるのです。自分の子供が善を働いたり、悪を働いたり、善人になったり、悪人になったりすることはあるのです。しかし父の愛、母の愛は、息子が善人だから、悪人だからといって差別はしない、そういうことです。善、悪、は厳としてある。しかし、それを包むものも、またあるのです。その包むものこそが、神の心であるということ、したがって神は単に、善と悪なら、善を選べといいますが、しかし悪だから駄目だと、私は善だけに味方するのだと、そうではないわけですね。あなたの父や、母は、あなたに善をすることを奨めるでしょう。あなたに善人になってほしいと言うでしょう。しかしながら、あなたが現に善人であろうが、悪人であろうが、父や母の愛は変らない。わかるでしょう。しかし父や母は、あなたが善人になることを望んでいるはずです。好ましいそれが方向だということを知っているわけです。 富山 ―― はい。
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デス子「マスターマスター、ご飯ですよ~。」 シン「ん、今行くよ。―――それで?今日こそまともな食事に有り付けるんだろうな?」 デス子「はい!マスターの特訓のお陰で、何と何とですよ!?『茹で卵』が作れたんです!デス子は嬉しいのです!」 シン「(……おい、茹で卵は料理に入らないって…って言うか、それはインスタント素ラーメンのせめてものトッピングに 教えたんであって……)」 デス子「さぁさぁマスター、召し上がれ~!」 シン「(皿に山盛りの茹で卵を引きつりながら眺め)……あ、ああ。じゃあ、まあ―――……あれ?旨い…。塩加減と茹で具合が丁度いいな。」 デス子「えっへん、マスター、その反応だとお気に召されたですか?」 シン「うん、凄く旨い。オレはこの位の茹で卵好きだし…。」 デス子「マスター、デス子は茹で卵位しか作れないダメダメ娘です。自分でも解ってるですよ。」 シン「デス子、それは―――」 デス子「でもですね、マスターの好み位はちゃーんと間違え無いようにしてるです。いつもマスターがデス子の好みの食事を作ってくれるように、デス子もマスターにしてあげたいですよ。」 シン「………そうか。―――じゃあ、頑張って貰わないとな。」 デス子「はーい!」 シン「(嬉しそうにシンの茶碗におかわりよそるデス子を見ながら静かに微笑む)―――馬ぁ鹿。そんな事言われたらさ………『オレだって』って答えたくなるだろ。言わせるなよ……柄じゃないんだからさ。」 満ち足りた表情で茹で卵を摘むシン。 今日もアスカ家は平穏だった―――そんなお話。 次へ
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ミネルヴァ艦内 タリア「――そんな訳で、本日付けで我が鑑の特別顧問となられたマスター・アジア氏よ」 師匠「皆の者ぉ!儂が流派東方不敗マスター・アジアだぁぁ!Σ(ビシッ」←例のポーズ シン「Σちょっと待てぇぇぇぇ!!!」 ルナマリア「えーとごめんあのやたらテンション高いお爺ちゃん誰?」 レイ「東方不敗マスター・アジア氏だ…どんなお方かと言うと………見たままの人だ」 シン「いきなり現れてアスランぶち墜として、んでもっていきなり顧問って!?いくら師匠でも無茶くちゃでしょ!?」 師匠「フン、無茶は儂とて理解しておるわい。安心せよシン、ちゃんと穏便な話し合いでこうなったのだ」 シン「どうせアンタの事だからプラントまで宇宙服無しで電影弾で飛んで行って、議長含めた上院議会の人達を脅したんでしょうがっ!」 師匠「ぬぅっ…さすがはシンよ、儂が認めた後継者」 タリア(凄いわシン…見事に当たっている…) ルナマリア「えーっとつまりあのお爺ちゃんはシンを弟子にしたがってるって事?」 レイ「いかにも」 シン「オレはそんな気は無いからな!」 師匠「何を言うか!無双2にて我らの意思は通じ合ったではないか」 シン「いや確かにそうだけども!大体何でオレなんですか、て言うかドモンさんはどうしたんだってば!」 師匠「ドモンか。奴は文句の付けようのない漢になりおった…儂の自慢の弟子よ」←遠い目 シン「だったら「だがのぅ…」はい?」 師匠「ドモンめ、女(レイン)と想いを共にするようになった途端、儂にあまり構ってくれなくなりおった…(イジイジ)」←部屋の隅っこに背を向けてしゃがむ シン、レイ、ルナマリア(*1)) 師匠「ついぞこの前も共に修行を、と誘ったのだが 『申し訳ございません師匠、レインの買い物に付き合わなければならないのです。また次の機会に』…と言われてのぅ…(イジイジイジイジ」 ルナマリア「…一人息子が彼女作ったら疎遠になった親?」 レイ「前回の暴れっぷりを見た者としては、信じられん落ち込みだな…」 シン「(頭ポリポリ)あーっ、たくもう…ほら、いじけてないで下さいよ。取り敢えず艦内を案内しますから!」 ルナマリア、レイ(*2) 師匠「フフッ、やはり弟子はお主しかおらなんだ」 シン「それはそれ、これはこれ!ほら、行きますよ!」 相変わらずの無茶っぷりでミネルヴァに居座る事になった師匠。この先どうなるのか、そもそも師匠がいればCE制覇出来るんじゃね?とか思ったそこの貴方、それは言わないお約束! つーか筆者的には師匠が次元の壁をぶち破ってシンの前に来た理由はちゃんとあるんだ、と主張したい! では次回。